大判例

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札幌地方裁判所 昭和48年(行ウ)12号 判決

原告 角田芳英

被告 札幌労働基準監督署長

訴訟代理人 小林正明 林茂保 ほか二名

主文

一  被告が昭和四四年一一月二四日付をもつて原告に対して為した、労働者災害補償保険法による療養補償費を支給しない旨の処分は、これを取消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和四三年六月一日、朝日新聞社北海道支社に雇傭され、以来印刷部製版課および製作部製作課においてメツキ作業製版作業および大貼り作業等の業務に従事して来た。

2  原告は昭和四三年九月下旬にいたり初めて腰部にだるさを覚えたが、暫く安静にすることにより右腰のだるさはとれたので、引続き右業務に従事して来たところ昭和四四年五月上旬頃、メツキ作業に付随するヒーターのオーバーホール作業に従事中腰部に疼痛およびだるさを覚え、次いで同年六月中旬頃になると更に特に重量物取扱作業や中腰又は前屈姿勢による作業中腰部に激痛を覚え、その痛みは次第に強まつたので、同年七月九日札幌市所在山岸病院において治療を受けたうえ、更に同月一四日から同月二三日迄の間同市所在北辰病院において診療を受けたが、原告の右腰痛は、右根性坐骨神経痛であり、前記北辰病院医師もその頃同旨の診断をしたものである。

3  しかして本件疾病は原告が前記のように製版作業、大貼り作業およびメツキ作業等に従事したことが原因で発生したものである。即ち原告は以下に述べる作業環境、勤務体制、作業内容から日常生活におけるより異常の腰部靱帯および腰筋に対する疲労ならびに腰椎線維輪に対する負荷を来たし、更にこれが本件疾病を惹起するにいたつたものであり、これを詳説すれば以下のとおりである。

(一) 原告の作業内容

原告は昭和四三年六月一日入社時から同月一一日まで研修、同月二四日まで実習を経たうえ、同月二五日以降メツキ、製版および大貼りの各作業に従事し、昭和四四年一月以降は、これに加えて蒸留器係としてメツキ作業に使用する蒸留器ヒーターの清掃作業にも従事していた。

右メツキ、製版および大貼り各作業の内容の詳細は以下に述べるとおりである。

(1) メツキ作業

広義のメツキ作業とは、新聞紙四頁大のステンレス版(約四・六キログラム)を研磨しこれにメツキし、整面後感光液を塗布し、この版を格納車に納めて製版室へ送る作業であり、原告は一日に約九〇枚を同僚四名(昭和四四年三月以前)乃至六名(昭和四四年三月一日以降五月一一日まで五名、以後六名)で処理していた。右研磨、メツキ、感光液塗布は自動化されていたが、その間の版の着脱・運搬・整面は人力で行なわなければならず、しかも立位又は立位の前屈姿勢でかなりの力を加えなければならないものであつた。

(イ) 研磨作業

ハンガー車にかかつたステンレス版をおろし、床に平行にし、前屈姿勢で研磨機にかける。版の研磨機への着脱は全て立位の前屈姿勢で行ない、着脱には一回二~三〇秒要し、一日一人三〇数回から四〇数回行なう。

(ロ) メツキ作業

研磨後の版を立位で頭上より高く持ち上げ、メツキ装置のハンガーにかけ前屈姿勢でロツクする。メツキ槽には時々薬品の投与をするが、狭い足場の悪い場所で二〇~三〇キログラムの薬品投与を前屈中腰姿勢で行なう。

(ハ) 整面作業

メツキ後のステンレス版(但し昭和四四年前にはメツキ前も整面作業をしていた)を作業台の上にのせ、表面の汚れ等を除くため、水洗いをし乍ら二人で向い合いクレンザーを散布し、これをブラシで整面する。作業台の高さは腰の位置にあり、ブラシを前後左右に動かしての中腰作業で一〇~二〇枚で交替する。整面し終つたステンレス版をブロツク掛けして、フアンでこれを乾燥させる。

(ニ) 感光液塗布作業

ハンガー車からステンレス版をおろし、前屈姿勢で持ち上げ、腰の高さの塗布機にのせ、表面をガーゼで拭う。これも立位で前屈・中腰で行ない、一人約一八枚処理する。

(ホ) 版の格納作業

感光液の塗布された版を高さ一〇センチメートルから一五五センチメートルまで二〇段に分割された棚に格納する。段の高さに応じて立位・前屈・中腰或いはしやがんで作業する。版を格納した格納車(車付き)は所定の場所に移動させるが、これには腰部にかなりの力を加えなければならない。

(ヘ) 蒸留器作業

(a) トリクレン注入作業

トリクレン二八〇キログラム入りドラム缶からポンプで蒸留器の新液タンクにトリクレンを注入するが、ドラム缶の置いてある場所が離れているため、狭い場所で約二メートル位、ドラム缶を移動させなければならなかつた。

この作業は版待ち時間などに行い、一ヶ月に一三~一五本程度、一度に時には二本注入するので回数としては一ケ月八~九回、作業時間は一回当り一〇~一五分位である。通常二名で作業するが、一人で作業することも多い。原告は昭和四四年一月以後この作業をするようになつた。

(b) 保守作業

蒸留器の定期点検、グリスの注入等を行なう。

(c) 蒸留器の加熱用ヒーターの清掃作業

おおむね二ケ月に一回、主に一四時~二三時の特別勤務で作業する。原告は昭和四四年二月、三月、五月にこの作業をしている。原則として三人で行なうことになつているが、蒸留器室が極めて狭いことと人員不足とから二人で作業することが多かつた。

作業手順としては、蒸留釜内部のトリクレンを凝縮させ、残留トリクレン約三〇Lをドレンとして排出し、一八〇L缶に入れて(約二五キロ)廃棄する。

その後ボルトをゆるめてヒーター(一〇八・五キログラム)を人力ではずし、室外に搬出する。

このヒーターをDMSO(ヂメチルスルホキシド)液槽に入れヒーターに付着した樹脂を溶解させ、更にドリルブラシを用いて樹脂をとりさり、水洗する。その後ヒーターを蒸留器室に搬入し、取付ける。

この作業においては、ヒーター自体が非常な重量物であること、部屋が狭く作業床面積が制約されること、時間が長くかかり、同一姿勢(中腰・前屈)を持続しなければならず、また多くの場合二人での作業であり、その場合、作業床面積の狭少から実質的にはどちらか一方の作業者に負荷が片寄りがちな作業であつたこと、ヒーターの予備がないので、機械の動いていないうちに全作業を終了させねばならないことなどの点において肉体的に極度に疲労させるものである。

(2) 製版作業

(イ) フイルムレイアウト作業

電送されて来た新聞一頁大のフイルムを新聞二頁大の透明シートに対で貼り合わせ、電送フイルム中の不要部分をインクで消したり、誤植のとりかえをしたり、フイルムをカツトし貼りかえたりする。広告についても同様である。

作業は高さ七七センチメートルのライトテーブル上で中腰前屈姿勢で行なわれる。

(ロ) 刷版製作作業

メツキされた版の版面をブラシで整面し(中腰姿勢での作業)、ついでホワラーによる感光液塗布作業、版を格納車に格納する作業(前出と同じ)がまず行なわれ、この版に(イ)で述べたフイルムレイアウト作業がなされる。このフイルムレイアウト後の版を真空焼枠にもつて行き、焼付機の台上でレイアウトを行なつたうえで焼付、現像、染色、水洗、腐食、水洗、インキ盛り、ゴム引き等の作業が行なわれていた。

整面、感光、版格納についてはメツキ作業の項において述べたとおりである。

焼付機の高さは約七〇センチメートルで、この台上でのレイアウトは不自然な前屈姿勢で行なわれ、特に色版の場合には、色のズレを少なくするため、継続した前屈姿勢が強いられる。また重量のある焼付枠を台に密着させる時にも腰部にかなり負担がかかる。現像以下の作業も全て立位前屈作業である。特にインク盛りは中腰前屈姿勢で相当な力を要する。

(3) 大貼作業

連絡課で印字されたポジフイルムを整理者のレイアウトに従つて大貼台紙に貼込む作業であるが、他に写真撮影、写植、文字カツト作成、ネガ修整などの作業がある。

(イ) 写真撮影

整理者より出稿された写真を修整し、カメラ原稿枠に入れた後、暗室内で指定寸法に合わせて露光をかけ撮影する。その後現像、乾燥、反転をするが、いずれも中腰姿勢での暗室作業である。

(ロ) 写植打ち

整理者より出稿された原稿を写真植字機でフイルムに印字する。

(ハ) 文字カツト作成

写植で印字された文字を反転して、ポジ・ネガの二種のフイルムを用意する。次に指定された地紋をのせ、ふち取りして現像乾 燥する。

(ニ) 大貼作業

高さ九〇センチメートルの作業台で、写真、見出し、文字カツトと連絡課から送られて来た本文用のポジフイルムを、整理者のレイアウトに基づいて大貼台紙に貼り込んでいく作業である。立つたままで行なうのが通常であり、前屈姿勢をとる。

(ホ) 点検修整

前記作業終了後、校正刷り用コピーを取り、整理者よりOKが出るとネガに反転する。このネガフイルムをライトテーブル(高さ八六センチメートル)の上で中腰姿勢で点検修整する。

(二) 原告の作業環境

原告の前記作業現場殊にメツキ作業現場は常に大量の水を使用し湿度八〇%以上に達していたので下着を用いず、作業衣のみを着用していたため冷え込む状況であつたし、コンクリート床に敷いた簀の子の上で作業するため足場が悪かつたので不自然な姿勢を余儀なくされていた。又メツキ作業に使用する蒸留器へのトリクレン注入、点検、グリス注入、清掃については右蒸留器の設置してあつた場所が狭隘であつたため、やはり不自然な姿勢で作業するのを強いられたのである。更に大貼り作業に使用するライトテーブルは前記の如く低いものであつたため極度の前屈姿勢をとらざるを得なかつたのである。

(三) 原告の勤務体制

原告の勤務体制は昭和四三年六月一日から昭和四四年七月二四日までの間における総労働日数三三七日のうち二四時間勤務が計八八回、午後四時から翌日午前三時までの夜勤が計二回であつたが、そのうち殊に昭和四三年九月下旬から同年一〇月中旬までの間、昭和四四年一月下旬から同年二月中旬までの間および同年四月から五月までの間において右昼夜連続勤務および夜勤が集中していた状況であつた。また、原告の就労開始時間も夫々午前一〇時、同一一時又は午後四時の場合があり、更に休日も夫々五ないし七勤務日につき一休日の配置であつたが、その配置は全く恣意的で不規則であつた。

(四) 原告は前記入社までは健康であつたが、以上の如き作業条件は原告に対し日常生活における腰部に対する負荷に比し、より以上の負荷を与え、そのため腰部靱帯疲労、腰筋疲労を蓄積させて、その結果腰部への負担に対して抵抗力が弱い状況が生じたところ更に腰部に過重な負担がかかる前記作業が加わることにより遂に本件疾病が発生するにいたつたものであつて、原告の本件疾病は前記作業条件の下において原告がその業務に従事したことが原因となつて発生したものであるということができる。このことは、現実に当時朝日新聞社北海道支社において原告の同僚として原告と同一職種に従事していた労働者計三六名の中三分の二の者が腰痛症を発症し、うち七名がこれにつき労働者災害補償保険法による業務の事由による疾病の認定を受けたことからも明らかというべきである。

従つて原告の本件疾病は、原告の本件業務遂行に存する業務上の外力による負傷類似の事由により発症したのであるから労働基準法施行規則第三五条一号に該当するものというべく、仮に同号には該当しないとしても、原告の本件疾病と原告の業務との間には相当因果関係があるものということができるから、同条第三八号に該当することは明らかである。

(五) なお原告の本件疾病の原因が椎間板ヘルニアであるとしても、原告の本件疾病が原告の業務上の事由によるものであることの妨げとなるものではない。即ち椎間板ヘルニアには椎間板の退行変性に日常的な諸動作の積重ねが加わつて発症するものがあることは事実であるが、椎間板ヘルニアの発症は日常腰部に加えられる負担の強さに対応し、統計的にも前屈作業従事者に多いことは夙に指摘されていたことであつて、従つて労働者の業務内容が日常の諸動作に比べて著しく腰部に負担をかける性質のものであつてこれに長期間従事する等の場合にはかくて発症した椎間板ヘルニアは正に業務上の事由によるものというべきであるからであである。

4  そこで、原告は労働者災害補償保険法に基き、昭和四四年八月二七日、被告に対し、前記北辰病院における同年七月一四日から同月二三日までの療養補償費金六、八四五円の保険給付を請求したところ、被告は同年一一月二四日付をもつて原告に対しこれを支給しない旨の決定(以下本件処分という)をした。原告は昭和四五年一月九日北海道労働者災害補償保険審査官に対しその審査請求をしたが、同審査官は同年七月一六日付をもつてこれを棄却したので、原告は労働保険審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は昭和四八年四月二八日付をもつてこれを棄却する旨の裁決をし、同裁決は同年五月二六日原告に送達された。

5  しかし原告の本件疾病は前記原告の業務に従事したことが原因として発生したものであり、その業務上の事由による疾病であるのに本件処分はこれを看過してなされたものであるから違法といわなければならない。よつて、原告は被告に対し、本件処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1および2の事実は認める。

3の事実中、原告の作業内容および勤務体制が原告主張のとおりであつたことは認める。原告の作業環境については不知。その余の事実は否認する。

4の事実は認める。

2  原告の本件疾病は労働基準法施行規則第三五条各号殊に第一号および第三八号に当る場合ではなく、原告の本件業務遂行との間に因果関係を認めることができないものであるから、この点において本件処分は適法である。

(一) 椎間板ヘルニアにより発症する根性坐骨神経痛の病理

根性坐根神経痛とは、脊柱下部の腰椎付近の神経根に対し何らかの原因で付近から圧迫その他の作用が加わることにより、腰、下肢が痛むという神経症状を示す病状をいい、右神経根に対する作用の原因としては、椎間板ヘルニア、カリエス、脊髄分離症、辷り症等々種女あるが、原告の場合は右カリエス以下の事実は存しないから椎間板ヘルニアによるものである。椎間板は脊椎を構成する椎体の間、即ち椎間に存し上下の椎体を連絡している円盤状の軟骨であり、その中心よりやや後方寄りに半膠状線維性軟骨からなる髄核があり、ごれを取囲んで強靱な線維性軟骨からなる線維輪が外側を形づくつている。

椎間板ヘルニアとは、線維輪に生じた裂け目を通つて髄核が外へ突出することであり、かくの如く突出した髄核が付近の神経根を圧迫して根性坐骨神経痛を発生させるものである。

ところで椎間板ヘルニア発症の仕組は、災害性のものと非災害性のものとがあるが、先ず非災害性のものについては、椎間板自体の退行変性が原因として存する。即ち、通常人は二〇歳前後から椎間板の水分が徐々に減少して弾力性が失なわれ、ために、線維輪に小さな断裂が生じ、更に四〇歳ないし五〇歳と高年齢になるにつれてかかる断裂は多かれ少かれ普通に見られるようになるのである。そしてこのような変化を基礎とし、これに日常生活における通常の持続的荷重と相侯つてかかる変化がある程度以上進行し非災害性の椎間板ヘルニアが発生するものである。これに対し災害性のもの即ちかかる退行変性がないのに髄核が突出するものはこれを想定すれば医学常識から見て非常に大きな外傷が加わつた場合が考えられるが、このときは多くの場合脊椎の骨折を伴う程度のものでなければならないのである。従つて脊椎の骨折を伴うような非常に大きな外傷がなく、患者自身その発症時期を明確に認識できないような症状を呈する椎間板ヘルニアにおいては、医学常識から見て非災害性のもの即ち退行変性に起因するといつてよい。

(二) 椎間板ヘルニアの業務起因性の有無

(1) 本件疾病が労基法施行規則第三五条第一号に該当するというためにはそれが業務上負傷に起因する場合でなければならず、そのためには、(イ)負傷又は通常の動作と異質の突発的な出来事が発症の原因であることが明らかなものであることおよび(ロ)局所に作用した力が発症の原因として医学常識上納得し得る程度のものと認められることが必要と解されるところ(労働省労働基準局長通達昭和四三年二月二一日基発第七三号参照)原告の本件疾病はその業務の通常の作業中に偶々発症したものであり、原告にかかる業務上異常な出来事(負傷)が存したことはないのであるから本件疾病は右同条同号に当るものということはできず、却つて退行変性に基づく椎間板ヘルニアに起因するものであるというべきである。

(2) 次に同条第三八号に該当するというためには本件疾病が業務上の出来事との間に因果関係の存することが医学常識上証明された場合でなければならないが、一般に非災害性椎間板ヘルニアを原因とする疾病の場合は、椎間板ヘルニアがその病理からして業務に関係なく日常の慣行動作の積重ねにより発症するものであること医学常識なのであるから、未だ右証明がないことに帰するものというべきである。更に以下の原告の作業内容、作業従事期間および原告と同様の業務に従事した労働者間に本件疾病の発症が見られないこと等からすれば、原告の本件疾病とその業務との間に因果関係の存することが証明されたものということはできないものである。

(イ) 原告の作業内容は原告主張の如くメツキ、制版、大貼各作業であるが、他業種の労働者と比較しても特別に腰部に負担のかかるものではなかつた。殊にメツキ作業についてはメツキ槽に二〇ないし三〇瓩の薬品投入動作を伴うが、これは日に一回のみであり、又製版作業過程におけるフイルムレイアウト作業は通常一人一日につき約一四、五枚を処理するが、その所要時間は一日計二〇分程度のものに過ぎず、又大貼り作業は、相当高度の技術を要するので通常当初の約六ケ月間は補助者的作業に従事するだけに止るものであるうえ、拘束七時間のうち通常一人一日約二、三ページを処理し、一ページの所要時間は約五〇分であるが、一枚仕上ごとに版待ち時間が約三〇分あるため、終始前屈姿勢をとるというものではない。原告の作業も右程度以上のものではなかつたのである。

(ロ) 原告の作業現場において、同様の作業に従事している労働者のうち椎間板ヘルニアの発症を見た者は原告以外になく、ただ昭和四五年から昭和四七年までの間朝日新聞社北海道支社印刷課従業員のうち七名が業務上腰痛症に当るものとして労働者災害補償保険給付を受けたことはあるがいずれも椎間板ヘルニアを原因とするものではない。

また、本件職場の作業環境は概ね良好な状態に保持されていたものである。

(ハ) 原告が朝日新聞社北海道支社に入社してから本件疾病が発症するまでの期間は、最初の自覚症状まで約三ケ月であり、右根性坐骨神経痛との診断を受けるまで約一年一ケ月であつてその間の就業期間は非常に短く、このことは本件腰痛の業務起因性を否定し、その原因を原告の体質的素因と推測させる有力な事情となる。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1および2の事実は当事者間に争いがない。

二  〈証拠省略〉によれば、根性坐骨神経痛は腰椎付近の神経根に対し付近から圧迫その他の作用が加わることにより腰および下肢が痛むものであるが、原告の場合はそれが第四-五腰椎々間板ヘルニアが原因であることが認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。

そして〈証拠省略〉によれば、椎間板ヘルニアは、椎間板の外縁を形成する線維輪に生じた裂け目を通つて椎間板髄核が外側へ突出するものであるか、右線維輪の裂け目は通常人において満二〇才頃から水分が減少する退行変性を基盤として脊椎の運動特に腰部の屈伸運動に捻転が加わつた時に生ずるものであり又右線維輪の断裂を通つて生ずる髄核の突出も同じく脊椎の運動特に腰部の屈伸運動に捻転が加わつた時に生ずる圧の変化により惹起されるものであることが認められる。

1  労働者災害補償保険法第一二条(昭和四四年法律第八三号による改正前のもの)は政府は労働基準法第七五条以下に規定する災害補償の事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者に対し療養補償保険給付をその請求に基づいて行う旨定め、これにつき労働基準法第七五条は、労働者が業務上負傷し又は疾病にかかつた場合には療養補償を受けることおよび右業務上の疾病の範囲は命令に委任しているところ労働基準法施行規則第三五条は右業務上の疾病の範囲につきこれを同条第一号ないし三八号に掲げるものと定めているところである。

2  そこで先ず労働基準法施行規則第三五条第一号は、右業務上の疾病に当るものとして「負傷に起因する疾病」と定めているので、原告の本件疾病がこれに該当するか否かにつき検討する。

右負傷とは疾病に相対するものと解すべく、しかして外力の侵襲によつて直接惹起された身体の生理機能の障害というのが相当であり、そうすれば右第一号に当るものとするには業務上負傷又はこれに準ずる通常の動作と異質の突発的な出来事が発症の原因であると認められかつ局所に作用した外力が発症の原因として医学常識上納得し得る程度のものと認められることが必要と解される。

ところで原告において本件業務上負傷又は通常の動作と異質な突発的な出来事が存したことについてはその主張立証はなく、また原告において後記の如き本件作業内容自体からその腰部に対し屈伸運動および捻転による負担がかかつたとしてもこれは日常的な負荷であつて突発的な出来事というを得ないからこれを負傷を生じさせるような異常な外力と同視することはできない。従つて原告の本件疾病およびその原因たる椎間板ヘルニアは、右にいう負傷に起因する疾病というに当らないものといわなければならない。

3  そこで次に同施行規則第三五条第三八号は業務上の疾病に当るものとして、「その他業務に起因することの明らかな疾病」と定めているので、原告の本件右根性坐骨神経痛およびその原因たる椎間板ヘルニアがこれに核当するか否かにつき検討する。

右にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」とは労働基準法第七五条第一項が、労働者が業務上負傷し又は疾病にかかつた場合においては療養補償を行う旨定め、同条第二項において右業務上の疾病の範囲は命令で定めるものとしたことから、労働基準法施行規則第三五条各号が設けられたものであること、同条第一ないし三七号に定める疾病は何れも業務上に起因することが定型的に認められるものであるが、本来業務に起因する疾病は多様であるからこれらに含まれないものも存するため右第三八号が設けられる必要があると考えられることからすれば、右「その他業務に起因することの明らかな疾病」とは業務遂行との間に相当因果関係の存することが証明された疾病と解するのが相当であり、それ以上、その因果関係が特別に明白であることをも要するものと解することはできない。

ところで椎間板ヘルニアについて見るに、線維輪の断裂および髄核の突出はその退行変性を基盤として脊椎の運動特に腰部の屈伸運動に捻転が加わつた時に生ずる圧の変化により惹起されるものであることは前示のとおりであり、〈証拠省略〉によれば右圧の変化は日常の慣行的動作の積重ねによつても生ずるものであり、殊に家庭の婦人にも見られるものであることが認められるから、椎間板ヘルニアは業務上外でも発症するものであるということは明らかであるということができる。しかし疾病が椎間板ヘルニアであることから直ちにそれが業務遂行との間に因果関係が存在しないと断ずることは相当でなく、業務内容、業務従事期間等の点においてそれが日常動作に比してより過重な脊椎の運動特に腰部の屈伸運動に捻転が加わる如きものであり、なお同種業務に従事した労働者間に同種発症が見られるものであるならば、このような場合における椎間板ヘルニアは右業務に起因することの証明があつたものと考えることができる。

そこで、以下原告の業務内容、期間および環境につき検討を加えることとする。

(一)  原告の従事した業務の内容

〈証拠省略〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原告の従事した作業内容、勤務体制および期間は請求原因3の(一)および(三)のとおりであつた(このことは当事者間に争いがない)。

(2) メツキ作業の内容は前記のとおりであるが、原告が日常作業として従事していたもののうち特に腰部への負担となる重量物の取扱作業および中腰前屈姿勢を要した作業は次のとおりである。

(イ) 前記新聞紙四頁大のスランレス版(重量四・六キログラム)を研磨、メツキ、整面感光剤塗布、および格納のためにする各ハンガー車からの取外し、研磨機およびメツキ装置への着脱、整面作業台への設置、取外し、ハンガーへの取り付け、感光液コーデイグ機械への送り込みおよび処理後の版の格納車への納入作業。

なお本件職場全体で一日計九〇枚のステンレス版を処理していたため、一人当り一日一〇ないし二〇枚を処理していたから、原告も右作業において右期間中延約一五〇枚のステンレス版を運搬したと推定される。

(ロ) 車付版格納車(総重量一八〇キログラム)を二人でエレベーターまで移動させる作業。

なお同作業は、作業現場床面に凹みおよび溝があつたり、簀の子があつたため、格納車の移動には更にかなりの力を要した。

(ハ) 整面作業。一人当り五ないし一〇枚を続けて処理し、一日当り一〇ないし二〇枚を処理していたが、中腰前屈姿勢で版の上におおいかぶさるようにし、手に持つたブラシで一版面を約二〇回左右に動かすものであつた。

(ニ) トリクレン入ドラム缶の移動作業。

なお蒸留器へトリクレンを注入するためトリクレン二八〇キログラム入うのドラム缶(自重三〇キログラム)を床面上を約六〇センチずらして運搬するものであつたが、瞬発的に腰部に強い負担がかかつた。

(ホ) 蒸留器の清掃作業に伴うヒーターの着脱および運搬作業。

原告は右作業に、昭和四四年二月二日、同年三月一五日および同年五月一〇日従事した。

(3) 製版作業の内容は前記のとおりであるが、朝日新聞社北海道支社においては当時一日少くとも九〇枚の製版を必要としていたから、製版課所属従業員は一人当り一日一〇ないし二〇枚を処理していた。そして原告が日常作業として従事していたもののうち特に腰部への負担となる重量物の取扱い作業は次のとおりである。

(イ) 前記新聞紙四頁大のステンレス版(重量四・六キログラム)の運搬移動。

〈1〉 格納車からこれを取り出し、その感光液塗布面に触れないような姿勢を取り乍ら焼付機まで運び、高さ七〇センチメートルのその焼付枠に設置する。

〈2〉 版を焼付後、焼付機から取外し、これを水平に保つたまま約一五メートル運んで現像台まで移動する。

〈3〉 版を現像台で水洗後、これを染色槽、薬品槽に順次出し入れし、更にこれを乾燥機、次に腐食機のハンガー車に運んで取り付ける。

〈4〉 版をハンガー車から取り出して、剥膜のため、高さ六〇センチの台の上に運んで設置する。

〈5〉 版を整面のため六〇センチの高さの流し台の上に設置し、次いで整面後はこれを取り外し、更に乾燥、感光液塗布作業の機器へ設置する。各作業後、版を格納車に運んで格納。(但し、以上は昭和四四年五月二一日まで)

(ロ) また不自然な前屈姿勢を要した作業は次のとおりである。

〈1〉 フイルムレイアウト作業。

高さ七七センチメートルのライトテーブルおよび(高さ七〇センチメートルの焼付機ベツトの上に、中腰前屈姿勢で覆いかぶさるような姿勢を長時間維持して作業した。

〈2〉 インク塗布作業。

四・五キログラムの布のかたまりを持つて中腰前屈姿勢で版の上に覆いかぶさるようにして体重をかけて、黒インクを塗り込めるもので一枚につき四人で約二、三分間、一人では約一〇分間を要した。

〈3〉 整面作業

前記〈2〉の(ハ)に同じ

(ハ) なお製版作業の作業時間は、いわゆる二四時間勤務の際には、午後四時から翌日の午後四時まで事実上勤務時間であつて、そのうち午後九時から九時三〇分、午後一二時から翌午前二時までの休暇、中休み、午前三時半頃から午前一〇時までの仮眠、午後一時から二時一五分までの休憩があるほかは前記各作業に従事し、その合間に、前記薬品の調合等の準備作業をするのが通例であつた。

(ニ) 原告の従事した作業環境〈証拠省略〉によれば、原告の前記作業現場殊にメツキ作業現場は常に大量の水を使用していたため、床は濡れている部分が多く、又一部は簀の子板が敷かれてあつたので、重量物を運搬するための足場としては極めて不安定であつたこと、又前記蒸留器設置場所は、トリクレン入ドラム缶の搬出入および蒸留器の分解清掃のためには狭溢であつたため、更に右メツキ作業を行うにつき、より腰部に不自然な屈伸の負担をかけていたことが認められる。

(三)  〈証拠省略〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、人は長時間殊にいわゆる二四時間勤務等により全身的疲労をますと大脳の興奮が抑圧されて全身の筋肉活動が円滑を欠くに至り、脊柱に関しても、これを保護する周囲の筋肉の機能を低下させ、平常なら問題にならないような負担でも脊柱に対し異常な力として直接に作用してしまうような状況を生じさせ、このような機能低下は、前記二四時間勤務等の夜間就労における仮眠直前、直後の頃が特に顕著であること、本件製版部門においては未だ原告と同様な椎間板ヘルニアを原因とする根性坐骨神経症の発症は見ていないけれども、同部門従事労働者間の相当部分において疲労および腰痛を来しており、又製版部門と作業内容は異るが、しかし同部門とほぼ同じような勤務体制にあり、かつ重量物(損紙)運搬に従事している印刷課所属従業員については、昭和四五年一月以降ではあるが腰痛症を訴える者が三六名中二〇名に達しており、昭和五〇年七月七日までに七名の者が腰痛症として業務上の事由による疾病であることの労働者災害補償保険法による認定を受けており、うち一名は非災害性椎間板ヘルニアを原因とする坐骨神経痛であることが認められる。

(四)  更に原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二四年一〇月二〇日生であり、朝日新聞社北海道支社に入社する迄は健康体であつたことが認められる。

(五)  以上の事実をもとに、原告の従事した業務と本件疾病との間の相当因果関係を検討する。

前示原告の作業の内容、体制、期間および環境に更に原告と同種の作業に従事している老の間の相当部分において業務上の腰痛症のみならず非災害性椎間板ヘルニアの発症を来たしていることに鑑みると原告の前記業務内容は、原告に対し日常の動作に比してより過重な脊椎の運動特に腰部の屈伸運動に捻転を加える如きものであつたものというべく、従つて原告の第四-五腰椎々間板に多大の圧を加えたことは容易に肯首できるところであり、かつ、前記不規則な勤務体制による疲労の蓄積は原告において脊椎周囲の筋肉の機能低下により腰部への負担が直接的に脊椎へと作用しうる状況に陥つていたことが推認される。しかして右事情の下では、業務による疲労状態を背景にし、更に前記各作業による腰部への負荷の蓄積が、右第四-五腰椎々間板髄核の突出へと進行させた大半の要因とみるのが相当である。そうして見れば、本件業務遂行と本件疾病即ち第四-五腰椎々間板ヘルニアおよびこれを原因とする右根性坐骨神経痛との間には相当因果関係が存することが明らかであるものというべく、然らは、本件疾病は労働基準法施行規則第三五条第三八号に該当するものということができる。

成程前記椎間板ヘルニアの病理に照らせば、日常生活上の動作も誘因となりうるし、原告の場合にもその一部の要因として働いたことも十分考えうるが、その寄与した割合は、原告の前記業務における右腰部に対する負担に比べれば問題にする必要のない程度のものと考えることができるから、右認定を覆えすことはできない。

又原告の本件腰痛の発症時は、最初の自覚症状があつたのが、入社時から四ケ月後の昭和四三年九月下旬頃であり、入院したのが入社時から一年二ケ月後の昭和四四年七月下旬であつて、業務に従事していた期間が比較的短いといえるが、前記本件職場の作業内容、勤務体制、腰痛症の発生状況に照らせば、それだけ本件職場における業務が腰部に負担のかかるものであつたことを示すにとどまり、前記相当因果関係の認定を左右するに足りない。

四  そうしてみると原告の本件疾病を業務上の事由によるものと認められないことを前提として為した被告の本件処分は結局違法であることに帰し取消を免れない。

五  よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 磯部喬 田中由子 千徳輝夫)

【参考】 業務上腰痛の認定基準等について

(昭和五一年一〇月一六日基発第七五〇号都道府県労働基準局長あて労働省労働基準局長通達)

腰痛の業務上外の取扱い等については、昭和四三年二月二一日付け基発第七三号通達をもつて示しているところであるが、その後の医学的情報等について「腰痛の業務上外の認定基準の検討に関する専門家会議」において検討を続けてきたところ今般その結論が得られたので、下記のとおり改訂することとし、これに伴い上記通達を廃止するので、今後の事務処理に遺憾のないよう万全を期されたい。

なお、本通達の解説部分は認定基準の細目等を定めたものであり、通達本文と一体のものとして取り扱われるべきものであるので念のため申し添える。

1 災害性の原因による腰痛

業務上の負傷(急激な力の作用による内部組織の損傷を含む。以下同じ。)に起因して労働者に腰痛が発症した場合で、次の二つの要件のいずれをも満たし、かつ、医学上療養を必要とするときは、当該腰痛は労働基準法施行規則(以下「労基則」という)第三五条第一号に該当する疾病として取り扱う。

(1) 腰部の負傷又は腰部の負傷を生ぜしめたと考えられる通常の動作と異なる動作による腰部に対する急激な力の作用が業務遂行中に突発的なできごととして生じたと明らかに認められるものであること。

(2) 腰部に作用した力が腰痛を発症させ、又は腰痛の既往症若しくは基礎疾患を著しく増悪させたと医学的に認めるに足りるものであること。

2 災害性の原因によらない腰痛

重量物を取り扱う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に従事する労働者に腰痛が発症した場合で当該労働者の作業態様、従事期間及び身体的条件からみて、当該腰痛が業務に起因して発症したものと認められ、かつ、医学上療養を必要とするものについては、労基則第三五条第三八号に該当する疾病として取り扱う。

(解説)

1 災害性の原因による腰痛

(1) ここでいう災害性の原因とは、通常一般にいう負傷のほか、突発的なできごとで急激な力の作用により内部組織(特に筋、筋膜、靱帯等の軟部組織)の損傷を引き起すに足りる程度のものが認められることをいう。

(2) 災害性の原因による腰痛を発症する場合の例としては、次のような事例があげられる。

イ 重量物の運搬作業中に転倒したり、重量物を2人がかりで運搬する最中にそのうちの一人の者が滑つて肩から荷をはずしたりしたような事故的な事由により瞬時に重量が腰部に負荷された場合

ロ 事故的な事由はないが重量物の取扱いに当たつてその取扱い物が予想に反して著しく重かつたり、軽かつたりしたときや、重量物の取扱いに不適当な姿勢をとつたときに脊柱を支持するための力が腰部に異常に作用した場合

(3) 本文記の1の(1)で「腰部の負傷を生ぜしめたと考えられる通常の動作と異なる動作による腰部に対する急激な力の作用が業務遂行中に突発的なできごととして生じたと明らかに認められるものであること」を認定の要件としたのは、腰部は常に体重の負荷を受けながら屈曲、伸展、回施等の運動を行つているが、労働に際して何らかの原因で腰部にこれらの通常の運動と異なる内的な力が作用していわゆる「ぎつくり腰」等の腰痛が発症する場合があるので、前記(2)に該当するような災害性の原因が認められる場合に発症した腰痛を業務上の疾病として取り扱うこととしたことによるものである。

ぎつくり腰等の腰痛は、一般的には漸時軽快するものであるが、ときには発症直後に椎間板ヘルニアを発症したり、あるいは症状の動揺を伴いながら後になつて椎間板ヘルニアの症状が顕在化することもあるので椎間板ヘルニアを伴う腰痛についても災害性の原因による腰痛として補償の対象となる場合のあることに留意すること。

(4) 本文記の1の(2)の「腰部に作用した力が腰痛を発症させ、又は腰痛の既往症若しくは基礎疾患を著しく増悪させたと医学的に認めるに足りるものであること」を認定要件としたのは、腰痛の既往症又は基礎疾患(例えば椎間板ヘルニア、変形性脊椎症、腰椎分離症、すべり症等)のある労働者であつて腰痛そのものは消退又は軽快している状態にあるとき、業務遂行中に生じた前記の災害性の原因により再び発症又は増悪し、療養を要すると認められることもあるので、これらの腰痛についても業務上の疾病として取り扱うこととしたことによるものである。

(5) 本文記の1の(1)及び(2)の該当しない腰痛については、たとえ業務遂行中に発症したものであつても労基則第三五条第一号に掲げる疾病には該当しない。

なお、この場合同条第三八号に該当するか否かは別途検討を要するので留意すること。

2 災害性の原因によらない腰痛災害性の原因によらない腰痛は、次の(1)及び(2)に類別することができる。

(1) 腰部に過度の負担のかかる業務に比較的短期間(おおむね三カ月から数年以内をいう。)従事する労働者に発症した腰痛

イ ここにいう腰部に負担のかかる業務とは、次のような業務をいう。

(イ) おおむね二〇キログラム程度以上の重量物又は軽重不同の物を繰り返し中腰で取り扱う業務

(ロ) 腰部にとつて極めて不自然ないしは非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務

(ハ) 長時間にわたつて腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務

(ニ) 腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務

ロ 腰部に過度に負担のかかる業務に比較的短期間従事する労働者に発症した腰痛の発症の機序は、主として筋、筋膜、靱帯等の軟部組織の労作の不均衡による疲労現象から起こるものと考えられる。

したがつて疲労の段階で早期に適切な処置(体操、スポーツ、休養等)を行えば容易に回復するが、労作の不均衡の改善が妨げられる要因があれば療養を必要とする状態となることもあるので、これらの腰痛を業務上の疾病として取り扱うこととしたものである。

なお、このような腰痛は、腰部に負担のかかる業務に数年以上従事した後に発症することもある。

(2) 重量物を取り扱う業務又は腰部に過度の負担のかかる作業態様の業務に相当長期間(おおむね一〇年以上をいう。)にわたつて継続して従事する労働者に発症した慢性的な腰痛

イ ここにいう「重量物を取り扱う業務」とは、おおむね三〇キログラム以上の重量物を労働時間の三分の一程度以上取り扱う業務及びおおむね二〇キログラム以上の重量物を労働時間の半分程度以上取り扱う業務をいう。

ロ ここにいう「腰部に過度の負担のかかる作業態様の業務」とは、前記イに示した業務と同程度以上腰部に負担のかかる業務をいう。

ハ 前記イ又はロに該当する業務に長年にわたつて従事した労働者に発症した腰痛については、胸腰椎に著しく病的な変性(高度の椎間板変性や椎体の辺縁隆起等)が認められ、かつ、その程度が通常の加齢による骨変化の程度を明らかに超えるものについて業務上の疾病として取り扱うこととしたものである。

エツクス線上の骨変化が認められるものとしては、変形性脊椎症、骨粗鬆(すう)症、腰痛分離症、すべり症等がある。この場合、変形性脊椎症は一般的な加齢による退行性変性としてみられるものが多く、骨粗鬆症は骨の代謝障害によるものであるので腰痛の業務上外の認定に当たつてはその腰椎の変化と年齢との関連を特に考慮する必要がある。腰椎分離症、すべり症及び椎間板ヘルニアについては労働の積み重ねによつて発症する可能性は極めて少ない。

3 業務上外の認定に当たつての一般的な留意事項

腰痛を起す負傷又は疾病は、多種多様であるので腰痛の業務上外の認定に当たつては傷病名にとらわれることなく、症状の内容及び経過、負傷又は作用した力の程度、作業状態(取扱い重量物の形状、重量、作業姿勢、持続時間、回数等)、当該労働者の身体的条件(性別、年齢、体格等)、素因又は基礎疾患、作業従事歴、従事期間等認定上の客観的な条件のは握に努めるとともに必要な場合は専門医の意見を聴く等の方法により認定の適正を図ること。

4 治療

(1) 治療法

通常、腰痛に対する治療は、保存的療法(外科的な手術によらない治療方法)を基本とすべきである。しかし、適切な保存的療法によつても症状の改善が見られないもののうちには、手術的療法が有効な場合もある。この場合の手術方式は腰痛の原因となつている腰部の病変の種類によつてそれぞれ違うものであり、手術によつて腰部の病変を改善することができるか否かについては医学上慎重に考慮しなければならない。

(2) 治療の範囲

腰痛の既往症又は基礎疾患のある労働者に本文記の1又は2の事由により腰痛が発症し増悪した場合の治療の範囲は、原則としてその発症又は増悪前の状態に回復させるためのものに限る。ただし、その状態に回復させるための治療の必要上既往症又は基礎疾患の治療を要すると認められるものについては、治療の範囲に含めて差し支えない。

(3) 治療期間

業務上の腰痛は、適切な療養によればほぼ三、四カ月以内にその症状が軽快するのが普通である。特に症状の回復が遅延する場合でも一年程度の療養で消退又は固定するものと考えられる。

しかし、前記2の(2)に該当する腰痛のうち、胸腰椎に著しい病変が認められるものについては、必ずしも上記のような経過をとるとは限らない。

5 再発

業務上の腰痛が一たん治ゆした後、他に明らかな原因がなく再び症状が発現し療養を要すると認められるものについては、業務上の腰痛の再発として取り扱う。

ただし、業務上の腰痛が治ゆ後一年以上の症状安定期を経た後に他に原因がなく再発することは非常に稀であると考える。

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